先日の続きです。
天台宗のお坊さんの講話の中で「自由」の捉え方の話がありました。
僕はこれまで自由とは、まさになんでもできること、時間にも空間にも制限がないことと思っていました。
社会的には『言論の自由』とか『表現の自由』とかいう言い方があります。
でも、先日の和尚さんの話では、『「自由」とは自分の欲の奴隷にならないこと』という話がありました。
それは自分の癖によって自由が制限されて奴隷になることだと。
言論も表現の自由も表現の自由も自分を主張したい・人をコントロールしたいという欲(癖)が根底にあると思うんです。
その自由に任せてると、自分自身がとめどめく流されてしまう。
脳内から快楽の麻薬物質が出ているんだと思います。
僕なんか一旦ネットを開くと目的から逸れてしまってダラダラとネットサーフィンにハマってしまいます。
楽な方へ楽な方へと自分自身が流されて、ネットの奴隷になっている。
これは本当の自由にはならないのです。
では「自由」とは何か?それは自分の心をコントロールすること。楽な方、楽な方へ流されることをコントロールすること。
すぐ目的を逸れてネット中毒になる自分の癖によって時間の自由が制限される。
自分のこだわりとか毎日掃除をしないと気が済まない癖(僕のこと)とか、そんなことから離れることが本当の自由なんだな〜と和尚さんの話を聞いて感じました。
ニューコードNLPに「自由意志」という言葉があります。これは、アメリカの神経生理学者のベンジャミン・リベットさんが人間に「自由意志」があるかどうかを実験しました。
実験の結果分かったことは、例えば、手を動かしてものを取ろうとする0.55秒前には脳がすでに手を動かす信号を出していてそれは決定されている。
その0.35秒後に手を動かすことを意識する。そして実際に手を動かす動作をする。
この脳の信号から手を動かすことを意識するわずか0.2秒の間が手を動かさないという選択をする時間。
これが「自由意志」だというわけです。
自由とはすでに決まっていた脳の信号に待った!をかけること、ロボットのように習慣化された行動に待った!をかける。これが奴隷にならないというであり、本当の『自由』ということです。
先日の恵俊和尚の「自由」の捉え方の話を聞いて、このニューコードNLPの自由意志のことの理解が深まった感じでした。
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