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志賀海神社『山誉漁猟祭』に間に合わなくて・・・

福岡市の郊外、博多湾に面した志賀島の志賀海神社では年2回春と秋に山誉祭(やまほめ)という五穀豊穣と商売繁盛、豊漁などを願う祭りが開かれます。
表題の「山誉漁猟祭」とは「やまほめかりすなどりまつり」と読みます。



春はコロナで中止になり、秋は先日の11月15日でした。
以前からこの祭りを一度見てみたいなと思っていたら、当日すっかり忘れてしまっていて、気づいたら始まっている時間です💦💦
慌てて出かけましたが、到着したら丁度祭りはジ・エンド・・・・😭
まさに、”あとの祭り”です。
でも、祭りの後の神社の境内をゆっくりと散策しました。

この祭りの起源ははっきりしないそうですが、神功皇后の三韓征伐への出発前に先勝祈願に地元の海人が神楽を舞ったのが始まりと伝わっています。
神功皇后はその神楽の舞に感心し、「志賀の浜に打ち寄せる波が途絶えるまで伝えよ」と言われたそうです。
その舞は「君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて 苔の むすまで あれはやあれこそは 我が君の御船かや うつろうがぜ・・・ 省略」という歌です。
この冒頭の部分が日本の国歌『君が代』につながり、古今和歌集の中で読み人知らずで歌われており、明治にメロディをつけたのが今の「君が代」になっています。
「君が代」は一般的には天皇の世がいつまでも続くようにという願いを込めた歌と言われますが、実は古代に志賀島一帯を拠点にしていた海人族「阿曇族(あずみぞく)」の長「阿曇磯良(あずみいそら)」を称えた歌とも言われてます。
歌詞の中に「阿曇の君」という言葉が出てくるのがその所以です。
阿曇の長一族が永遠に続くようにと願いを込めたものと思います。
阿曇族は西日本を拠点に全国の海人族の総統として、天皇家とも繋がりがあったようです。
全国にもその安曇の地名がたくさんあり、長野の安曇野なども阿曇族が移住していった形跡があります。
下の写真は境内に掲示されていた祭りの様子

古来から続く神事を伝承で受け継いで、今なお祭りとして存続していることに不思議な感じもします。
日本の地方にはこんな風に神様に敬意を払い、海山の収穫に感謝するお祭りが残っていることは大切なことだと思います。
今度は来年の4月、是非みたいものです。
帰りに清めの潮をもらって帰りました。

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