みなさん、こんにちは。
4月からニューコードNLPを学んでいます。先日はそのオンライン授業がありました。
授業の後、天台宗のお坊さんを招待されて講和と般若心経を読んでみるというものがありました。
講話は、法華経についてです。
その中でお釈迦様が生まれたとき、七歩歩いて右手と左との人先指を天空と地上に向けて『天上天下唯我独尊』と言われたという話がありました。
その意味は、六道(六つあるという苦の世界)から解脱して、天の上にも天の下にもただ、ただあるのは自分一人。
この言葉、非常に自分の中にアンカーとして引っかかりました。
こういう心境になれないから、人との競争に必死になったり、恨みや妬みなどを持ったり、人からどう評価されるかそのことで戦略を立てたりして自分自身が疲れ果ててしまいます。
悲しんだり、喜んだりと感情が波のように大きく揺れ動きます。
これも全て人と自分というものの区別があるから。
この世にあるのはただ、自分一人と思えば、目に前にいる他者も自分、周りの風景も自分という風に感じられるのか?
そうすれば、全てを大切にする気持ちになるのか?
この言葉を聞いて色々と考えることがありました。
今日のNLPの授業の中で「謙虚』とは何か?という問いがあり、
はて?何のことかな?頭を巡らせたとき、一つは「自分に正直になる」「自分に嘘をつかない」ということかな?と自分の中では感じました。
言っていることとやっていることが合致しないことって自分自身よくあります。
口から発している言葉が嘘くさい、本当に自分の腹から出てきて言葉ではなく、喋り出すと体裁を考えて無意識?(いや意識的?)に言葉を選んでいる。
こういう状態は自分に正直になっていないし、自分に嘘をついているんだなと。
これって、全て自分と他者がいるから生まれてくるもんですよね。
この世は自分一人と思えば、話す時に体裁を考える必要もないし緊張もしない。
はて、自分に嘘をつくってできるのかな?
ここで、お坊さんのお話の「天上天下唯我独尊」と「謙虚」というものが繋がった気がします。
自我を張るというのではなく、ただただ、自分に正直に天の上にも下にもあるのは自分だけという意識を常々持ちたいと思ったところです。
また、講話を通してこのお坊さんの声に波が無く、一定の音律で約2時間近く喋っていたことに驚きと、出てくる言葉も自分の言葉として出ているなと感じました。
ちなみに、なぜ?そのような一定の声で話せるのか聞いてみましたが、特別な訓練は受けていない、いつも感情のない声を出していると奥さんからは言われるそうです。
お坊さんになる修行時代に声が枯れるくらい大きな声を出すということをされていたそうです。
人の言葉を借りていない。一般的な常識的な言葉で話していない。
これも、この日の授業の中で「自分の肉体を通してから話す」ということがありましたが、「あ、このことか!」と合点がいきました。
お坊さんの自分の肉体を通して出てきた言葉が何か目には見えない周波数として伝わってくるという感じでした。
ニューコードNLPと仏の教えは通じるものがあると思います。
僕が受講しているスクールがこちら↓
https://nlp.officialblog.jp/archives/51005325.html
講話をされたお坊さん(天台宗姫路山証明寺小林恵俊副住職)のyoutubeです。
Tik Tokのショートムービーの講話が秀逸です。
https://www.youtube.com/channel/UCQkZuC9qSb3WWfJxmZS1rKw
それではまた。
コメント